「いま・ここ」から「かつて・ここ」を学ぶ
今年度、3学年の選択「日本文化史」の授業では、学校が位置する秩父地域の事例をもとに教科書の記述を深く理解する授業を定期的に行っています。
11月4日(水)には、 太平洋戦争下、学生生活は日中戦争期からどのように変化したか? という問いをもとに授業を行いました。内容は、太平洋戦争下の国民生活です。

▲板書( 秩父高校の歴史をおさらい)
秩父高校の歴史をたどる
秩父高校の来歴を簡単に示すと以下のようになります。
秩父高校は、1907(明治40)年に創立された大宮町立裁縫女学校に起源を持つ県下有数の伝統校である。1950(昭和25)年、裁縫女学校の流れを汲む埼玉県立秩父女子高等学校(旧秩父高等女学校)と1937(昭和12)年に地域の商業学校として創立された組合立秩父高等学校(旧秩父商業学校)が統合され現在の秩父高校となった。
浅見太暉(2024)「地域の歴史を追体験し、歴史を身近なものにする授業」『教職研究』42号
前回の授業では秩父高等女学校の校友誌『ちゝぶ』を資料に学んだわけですが、今回は秩父商業学校の資料も用いることにしました。


校歌から読み解く戦時下の価値観
授業では、1941(昭和16)年に作曲された秩父商業学校の校歌、ならびに1942(昭和17)年に作曲された秩父商業の行進曲も資料として活用しました。
秩父商業の校歌は、童謡『シャボン玉』の作詞者として知られる野口雨情が作詞したものです。
[1番]
秩父三山 峰遠く 至誠奉公ひたすらに 天恩深 思ふべし 天恩深く思ふべし[2番]
協同信愛 つとめつつ 人格共に重んじて 朝夕つとにはげまなん 朝夕つとにはげまなん[3番]
剛健快活 身を練へ 自律自活を自覚して 御国のために尽くすべし 御国のために尽くすべし[4番]
率先躬行 明らかに 學ぶ秩父の我が校は 誉れも高く輝かむ 誉れも高く輝かむ
本校に保存される資料(楽譜)をもとに音源も作成し、これを聞きながら、当時の学生たちに求められたものはどのようなものであったのかを考えました。
このほかにも『ちゝぶ』第6号所収の女学生の文章や、秩父商業の校長の回想等を活用しました。
地域の歴史から教科書を読み直す
本時では、「いま・ここ」で学ぶ生徒たちが、「かつて・ここ」で学んだ学生の生活に思いをはせながら学びを深めました。
1930年代後半、つまり日中戦争が開始した頃の銃後の暮らしと、太平洋戦争下の銃後の暮らしには明らかな違いが見られます。
普段の授業に比して、授業最後に提出する記述内容に切実さを感じるものも多くあり、足元の歴史から教科書事例を深く理解できたのではなかろうかと思います。
授業中にどこからか聞こえてきた「疎開」という語も、都心からの疎開児童を多く受け入れた歴史を持つ秩父地域にとっては大きな意味を持つものです。
授業にとどまらない学びへ続いてくれたらと願っています。
(文責・あざみ)