フォークロアゼミ × 日本文化史
令和8年度、3学年では秩高ゼミを開講します。
【3年・総探】「秩高ゼミ」志望理由書作成 | 埼玉県立秩父高等学校
フォークロアゼミでは、主に秩父地域の民俗を調査研究し、 最終的に成果を地域に還元することを目指しています。
5月26日(火)日本文化史「化政文化」の授業にて、 生徒の興味関心を拾い上げて「講」を切り口にした地域探究 を行いました。
地元の「講」を調査したい!とフォークロアゼミを志望した生徒がいたのです。
以下、授業の様子を紹介します!
「三峰信仰」広がりの背景を問う
今でこそ、東京まで電車一本でいくことができる秩父地域ですが、 江戸時代にはそういうわけにはいきません。
そんな時代に、三峰信仰が都鄙の別を問わず関東一円に広まりました。 この背景にはどのようなことが想定されるのでしょうか。
大きな問いかけに対して「ご利益があったから?」という声も聞こえてきます。

資料をもとに考察し合う生徒たち
生徒は大きく「農山村グループ」と「都市部グループ」とに分かれました。
秩父地域の具体的な事例を学んだわけですが、決して教科書内容から逸脱したものではありません。
一見すると難しそうな史料も読みこなし、 これまで学んできたことも手がかりにして考察を進めていきます。
なぜ、人は三峰へと向かったのか?(秩父編)
農山村グループでは、『武蔵志』や『新編武蔵風土記稿』に記された 秩父地域の状況などをもとに考察しました。
以下にその一部を引用してみます。
秩父(略)山多耕地乏 依て米麦地に足らず 土産は良材を筏とし 荒川を江戸に下す ( 福島東雄『武蔵志』 )
獣は 熊 狼 猪 鹿 … ( 福島東雄『武蔵志』 )
猪鹿多くして耕作荒すとなり(秩父郡小鹿野町長留) ( 『新編武蔵風土記稿』 )
3年生は、1年次に秩父地域は元来、稲作地域ではなく、 多くの場合、年貢は米納ではなく金納であり、 換金性のある養蚕が盛んになったと学んでいます。
【1年総探】養蚕から見る秩父の歴史 | 埼玉県立秩父高等学校
三峰は狼信仰で知られますが、 耕地面積に乏しい秩父地域において狼はどのような存在であったのでしょうか。 秩父に学んでいる生徒たちだからこそ考察は加速します。
なぜ、人は三峰へと向かったのか?(江戸編)
都市部グループでは、『遊歴雑記』にみえる、 化政文化期の三峰詣の記述などをもとに考察しました。
以下にその一部を引用してみます。
秩父巡礼のはしがき
武州秩父郡三峰山大権現の御眷属とや 御犬といふものを年々借来て盗賊の防とする事 近国ミな同じ 爰に予が寓居の地主なる者 彼講中にして今年三峰山へ罷るべきも 世路の鬧しけれバ代参しくれよとあるにぞ 兼てより秩父の土地を見まほしく思ひしまゝ許諾しけるに(後略) ( 十方庵敬順『遊歴雑記』 )
ここから、都市部では「盗賊除け」のご利益が期待されていたこと、 地主が三峰講の講員であったが忙しくて行けないために、 代参が行われたことが読み取れます。
この場面を理解するために「代参」に関する資料も参照しました。
参拝は、講員全員で行くものと、選ばれたものが行くものとに分かれる。(略)後者は代参(講)とも呼ばれ、目的地までの旅が遠く日数も要する場合にみられた。代参にあたる講員は輪番(りんばん)やくじ引きなど、講による慣習に従って選ばれた。
市田雅崇「寺社の活動と代参」『人のつながりの歴史・民俗・宗教』八千代出版、p.101
講とは、『日本民俗大辞典』によれば、 「ある目的を達成するために結ぶ集団」です。
この他、民俗学者・宮田登の著作も参照しつつ、都市部における三峰信仰には盗賊除けのほかにも火難除けなど都市特有の要素が加わったことを理解します。
江戸に火事が多かったことは学習済みです。こちらのグループでも既習知識を活かして考察が進められました。
生徒たちの学び
多くの生徒の到達点を要約すると、次のようになります。
農山村部と都市部とでその性質は異なるが、 各地に参拝講としての「三峰講」が結成され、 代参という仕組みによって可能になった。
実際には、授業の残り5分間で書けるだけ書き出したもので、より詳細なものでした。
さらに、
- そもそも信仰は誰が伝えたのか
- 三峰以外の狼信仰はどうだったのか
といった新たな疑問も生まれました。
授業はあくまでも探究の入口です。
疑問に思ったことを期末レポートなどで深く探究してくれることを期待します。
この授業に限らず、今年度の日本文化史では秩父地域の事例を扱っています。
1年次(QUEST)、2年次(FEST.)と地域探究を積み重ねてきた3年生にとって、 教科書の歴史を身近な地域から捉え直す学び は有意義なものとなっているようです。