秩父高校卒業生インタビュー 浅見悦子さん「秩父高校は可能性を広げられる学校」

「入学式は雪が降るほど寒かったですね。しばらく経ってから、ようやく学校の桜が見頃になりました。クラスメイトと桜の木の下でお弁当食べたんです。懐かしいですね」

出版社・主婦の友社にて編集部長を勤める、浅見悦子さん。

秩父高校には1988年に入学し、2020年まで活動していた女子ソフトボール部を復活させました。高校時代はどんなことを考え、過ごしていたのでしょうか。「秩父高校は可能性を広げ、選択肢を増やすことができる場所」と語る浅見さんに、当時のお話をうかがいました。

 

プロフィール:
浅見悦子さん 主婦の友社 ウェルネス事業部部長
1972年4月12日生まれ。埼玉県秩父市出身。
1988年 埼玉県立秩父高校に入学。1991年卒業。高校時代は休部となっていた女子ソフトボール部を復活させる。
1991年青山学院大学文学部入学、1995年卒業。
1995年 出版社・主婦の友社に入社。美容編集者歴26年、シニア向け雑誌『健康』、女子大生雑誌『Ray』、OL雑誌『ef』などの女性誌の編集を経て、2012年大人ギャル雑誌『S Cawaii!』編集長、2016年に働く女性向けWEBメディア『OTONA SALONE』を立ち上げ、創刊編集長になる。2020年に第2メディアビジネス部部長に就任。2021年より現職。

 

何事も「おもしろがる」から始まる

ーー本日はよろしくお願いします。まずは浅見さんの簡単な経歴を教えていただけますでしょうか?

1991年の3月に秩父高校を卒業した後、青山学院大学の文学部に入学しました。新卒で入社したのが今も所属している「主婦の友」社になります。いくつかの雑誌やメディアで編集を経験してから、編集長や新規メディアの立ち上げなどを行いました。

ーー今の仕事には子どもの頃から興味があったんでしょうか?

本を読むのは好きでした。なので、中学生の頃は本に関わる仕事に興味がありましたね。とはいえ、出版社に入るなんて少しも思っていませんでした。むしろ、中学時代は国語が苦手だったんです。

ーー今のお仕事から考えると、それは意外ですね。

でも、中学3年生のときに、ちょっと変わった教え方をする国語の先生がいて。その授業を受けているうちに、国語って面白いと感じるようになりました。

たとえば、指示語って何かを、わかりやすく図を使って教えてくれたり。

ーーそれは面白いですね。

その授業を受けるうちに、自分でも工夫して国語を勉強したいってなって。同じクラスの友達と話すときに「いとおかし」とか使ってましたね(笑)。なるべく楽しく覚えようという気持ちがあったんだと思います。

そんなことをしているうちに、言葉に興味を持つようになりました。「いとおかし(いとをかし)」だと、当時は「趣がある」「素敵だ」という意味ですけど、今だと“おかしい”は「面白い」とか「すごい」とかいう意味になりますよね。

遊びから始まったことですけど、言葉に対する興味は深くなりました。

ーーおもしろがるってとても大切ですよね。何かコツはありますか?

「苦手だ」と思わないようにすることかなと思います。

誰しも不得意科目はあります。私ももちろんあって。でも、「楽しもう」という気持ちに切り替えて問題集をやってみると、今までに見えなかった発見があったりします。「嫌だなあ」と思っていると、そこからは何も生まれないと思うんです。

私の場合、楽しもうと思って問題集をやっていたら、問題集の問題そのものに間違いを見つけたことがありました(笑)。

ーーたまにあるって聞いたことがあります。

それを先生に伝えたら、出版社に連絡してみることになって。連絡したら、図書券をもらえたんですよ。そんなことが1度ではなく何度もありました(笑)。

ーーそんなことがあるんですね。

問題集をやるのはもちろん大事なんですけど、「なにか面白いことないかな?」というアンテナを張りながらやるんです。歴史の教科書で人物写真が出てくると、誰かに似てるなとか考えますよね。

ーーメガネとかヒゲとか書いてました(笑)。

そうそう。
勉強する時間を、勉強するだけの時間としてとらえない。「授業中、どうやって楽しく過ごすか」を考えていました。すごく優秀なわけでも、真面目だったわけでもない生徒でしたけど、そうやって友達と過ごしてましたね。

 

ソフトボール部を復活させて、ゼロから生み出す大変さを知った

ーー浅見さんは、部活動はされていたんですか?

中学のときはソフトボール部に入っていて、高校に入ってからは演劇部に入りました。
でも半年経った頃、やっぱりソフトボールがやりたい! と思って。当時の秩父高校のソフトボール部は、ほぼ休部同然で、全く活動していませんでした。

 

ーー復活させる……? 1年生の時ですよね。そんなことできるんですか?

できちゃったんですよ(笑)。
同じ中学のチームメンバーや他の中学でソフトボール部に入っていた子たちに声をかけて、まずは3人集めて。顧問の先生はいたので「ソフトボール部をちゃんと活動させたいんです」と話したら、簡単に許可が下りたんです。それから1年生にたくさん声をかけて、なんとか9人集めました。

ーーギリギリですけど、集まったんですね。その後は順調に?

それが、ソフトボールをやる場所がなかったんです。

ーーえ!?

部室はあったんですけど、当時のグラウンドは野球部、サッカー部、ラグビー部、陸上部、ハンドボール部が使っていたので、もうパンパン状態。ひしめき合ってました。

仕方がないから、テニス部がほとんど使わないスペースを貸してもらってキャッチボールをしてたんです。「気にせず使っていいよ」と言ってくれて。

ーーなかなか大変ですね。

でも、やっぱりグラウンドでやりたいじゃないですか。なので、野球部とサッカー部とラグビー部の練習試合や大会のスケジュールを確認するようになりました。

ーーそれは、なぜでしょう?

練習試合や大会になると、別の学校に行きますよね。その日にグラウンドで練習するんです。

ーーなるほど。その後のソフトボール部の活動はどうだったんですか?

1年生の頃はただ楽しくやるだけでよかったんですけど、練習をするうちに大会に出場したい気持ちが大きくなっていきました。ユニフォームもほしかったですしね。

なので、2年生になって、部活の予算委員会に参加したんです。

ーー予算を取りにいったわけですね。

そうです。
でも、参加しているのは部長や副部長なので私以外全員3年生で。ぜんぜん予算取りができませんでした(笑)。ユニフォームがほしいと言っても、「ソフトボール部、実質動いてないでしょ」とか「試合、いつ出るの?」とか言われたりして。

ーー厳しいですね。

でも、ここでゼロからイチをつくる大変さを学ぶことができました。
0円から100円でも取れたらプラスなわけですよ。少しでも私たちのことを理解してもらいたいと思って、手を変え品を変え説明しましたね…必死でした。

ーー変化はありましたか?

お情け程度の金額でしたが、少しもらえました。
でも、こうした積み重ねがちょっとずつソフトボール部の認知につながって、野球部とサッカー部とラグビー部からは「今日は練習試合でいないから使っていいよ」と言ってもらえるようになりました。

ーーすてきなエピソードです。なかなかできない経験ですよね。

嬉しかったですね。
今働いている主婦の友社で、2016年にゼロからWebメディアを立ち上げたのですが、ここでの経験が活きているなと感じます。

ーーソフトボール部は2020年まで、32年間続いたそうです。

自分が楽しそうだなと思って始めたことを、たくさんの人たちが繋いでくれたことに感謝していますし、文化ってこういうことなのかなと感じます。

また、私たちの代では叶わなかったけれど、後輩たちが県大会で勝ち上がるほど強かった時があったんです。当時、新聞で知ったときは、本当に嬉しかったですね。

 

みんなと同じじゃなくて、自分の道を開拓したい

ーーソフトボール部で汗を流しながらも、2年生になると進路についても考えなければなりません。浅見さんはどのように考えていたのでしょうか?

3年生からの選択授業を2年生のうちに決めるじゃないですか。私は心理学を学びたいと思っていて国公立大学に行こうと思っていました。受験は5教科になるので、必要な科目を選択したんです。そうしたら、私と同じ選択をしている人が全くいなくて(笑)。女子は短大志望が多かったんです。

ーー当時は、四年制大学よりも短大を志望する女子が多かったですからね。

そう。なので、私は移動教室が多かったんですよ(笑)。友達とは別の教室や授業に行くことにワクワクしていました。自ら開拓していくほうが好きなんですよね。

ーーワクワク感、大事ですね。受験勉強は順調でしたか?

それが3年生の夏の段階で志望校への学力が及ばない可能性があることに気づきまして(笑)。推薦枠を考え始めたんです。でも、枠があるのは志望する学部ではありませんでした。それを担任だった先生に相談したら、「お前は勝負強いから、試験でいけ。推薦枠は別のヤツにくれてやれ!」って。

ーーすごい先生ですね(笑)。

ほんとに(笑)。結局、国公立大は落ちてしまって、試験を受けた青山学院大学に入ることになりましたけど、先生の言葉がなかったら今とは別の道を歩んでいたと思います。

 

将来の夢は「スーパーウーマンになること」

ーー進路を決める時は将来の夢も同時に考える機会でもあります。浅見さんは当時、将来の夢はありましたか?

そのときになりたい職業は決まっていなかったんですけど、高校3年生の受験前にあった英語の試験で、将来の夢を英文で書く問題があったんですよ。
そこで「スーパーウーマンになりたい」と書きました(笑)。

 

ーースーパーウーマン! それは何か理由があったんでしょうか?

アメコミでスーパーウーマンっていますけど、当時は知らなくて。でも、スーパーマンは知ってました。「スーパーマン」はいるのに、「スーパーウーマン」がいないことを不思議に感じたんですね。

ーーたしかに。スーパーマンは当時も今もみんな知ってますよね。

そうですよね。
秩父高校って男女の出席番号が入り混じっていて、ジェンダーレスな考え方がある気がして。それも影響していたと思います。かわいい女性じゃなくて、かっこいい女性になりたい。いろんなことを乗り越えて、今まで誰もやっていないことをやってみたい。そんな気持ちだったんだと思います。

ーーその後、試験を経て青山学院大学に入ることに。

はい。驚いたのが、入試で将来の夢を英文で書く問題が出たんですよ。すぐに学校の試験で書いたことを思い出しました。不思議な縁を感じましたね。

学校の授業と受験勉強は切り離されて考えられがちですけど、学校での授業や試験をきちんとやっていれば、塾に行かなくても大丈夫なんだなと思いました。私は、受験前の冬期講習くらいしか塾には行っていなかったですしね。

 

「将来」ではなく、5年後を考える

ーー「スーパーウーマンになりたい」と書いてから数年後に社会人になるわけですが、新社会人になっていかがでしたか?

全然思い描いた姿にはなれないですよね(笑)。そう簡単にうまくはいかないです。

毎日怒られるし、ダメ出しはされるし。雑誌の編集をするようになってからは徹夜ばかりで。当時はコンプライアンスという言葉もないくらいの時代でしたから、必死でしたよ。

ーーなかなかうまくはいかないですよね。

忙しく働く日々でしたが、そんな時に上司から「5年後、10年後、15年後にやりたいことを書いてみて」と言われたんです。
そこでもやっぱり、高校時代に書いたことを思い出して。

ーーずっと繋がっているんですね。

そうなんです。けれど、昔は「将来」を考えて、今回は「5年後」を考える。一気に現実味が増しました。

数日考えて、5年後の27歳で特集を任される編集者になりたい。10年後の32歳で副編集長くらいのポジションにいたい。15年後の37歳で編集長になりたい、雑誌の創刊にも携わりたい。そう書いたんです。

ーー実際に達成されていますよね。すごいです。

副編集長は36歳、編集長39歳だったので年は違いましたが、ありがたい限りです。雑誌の創刊ではなかったけれど、WEBメディアの立ち上げは当時の社内でも、私ともうひとりしか経験していません。

また、今いる出版社と、別の会社の出版社から自分が著者となって書籍を出すことになったのも会社が始まって以来のことでした。日本中で誰もやっていないことではないですけど、多くの人がやっていないことをやらせてもらっていると感じています。

 

なんとなくでいいから、なりたい自分をイメージする

ーー高校の試験、受験、社会人になってからも「こうなりたい」と思うことを書いてきた浅見さんですが、なりたい自分を見つけるにはどうしたらいいと思いますか?

まず、「この仕事!」と決めなくていいと思っていて。なんとなく、ふわっとしたイメージだけでいいと思うんです。

私みたいに「スーパーウーマンになりたい!」とか「キラキラしていたい!」とか。そんなイメージでいい。そうすることで、余白ができるんですよ。いろんな可能性を残しておいたほうが、将来はたくさん選べると思います。

ーーそうですね。ちゃんとした形じゃなくても。

人に言わなくても、書かなくてもいいので「こうなりたい」とイメージする。その時に大事なのは、すぐに届きそうな目標じゃなくて、高い位置に設定すること。思った通りの姿じゃなくても、その近い姿にはなれるはずです。

私も第一志望の国立大学には行けなかったけど、青山学院大学には行けましたし、編集長にもなれました。けれど、設定を低い位置にしちゃうと、それより上のレベルにはたどり着けないんですよ。

超えられないかもしれないけれど、できるだけ目標は高くイメージしてほしいです。もちろん、明確な夢や目標が高校生の時からあることも素晴らしいことですよ。

 

どのように生きるかは、時間をどのように過ごすかで決まる

ーー最後に、中学生、高校生に向けてメッセージをいただけますか。

秩父高校のいいところって「自由」だと思うんです。

四年制大学に行く人もいれば、短大や専門学校、就職した人もいるし、留学した人も浪人した人いました。みんな自由に選択するんです。これがみんな同じような進路を選ぶ学校だと、同じような人の集まりになっちゃうんですよ。

社会に出ると、本当にびっくりするくらい、いろんな人がいる。

ーーそうですね(笑)。

いろんなタイプの人がいるからこそ「いろんな人がいていいよね」っていう考えが当たり前にできる。秩父高校は多様性を認める、多様性を感じられる学校だと思います。

「井の中の蛙大海を知らず」状態になってしまうと、これからの変化の激しい時代に、ついていけなくなるかもしれません。いろんな人が集まる場所で、いろんな人の考えに触れる。そうすることで選択肢を増やしていけると思うんです。

ーーなりたい自分はなんとなく持っておいて、いろんな人のいる場所に身を置く。

そうですね。
自由だからこそ、可能性が広がり、たくさんの選択肢から選ぶことができる。選択することは容易ではないですけど、自由な環境にいるからこそ、選択の幅ってたくさんあるんだなって知ることができると思いますよ。

ーー3年生になると進路で忙しいから、自由に使える高校時代は2年くらい。あっという間ですよね。

タイムイズマネーって、みなさんももちろんご存知だと思います。今は「授業長いな」とか、そんなに感じないと思うんですけど(笑)。

でも、考えてみてほしいんです。たとえば、通学時間。地元を離れて遠くの学校に通うと、行きと帰りで2時間かかりますよね。

ーーたしかに。けっこう大きいですよね。

時間はお金以上に大事だと思います。
通勤通学で電車に乗って1時間過ごすのか。それとも、その時間をやりたいことや友達と遊ぶ時間、家族との時間に使うのか。好きなことに没頭してもいいかもしれません。

今は、どこにいてもインターネットで様々な情報にアクセスできます。日本中、世界中の人と繋がることができるようになりました。どのように生きるかは、時間をどのように過ごすかで決まってきます。

ぜひ、時間を有意義に使える人になってほしいですね。

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